気分と印象

イラクでの誘拐事件やこないだの北朝鮮拉致問題のニュースを見て思うのは、やっぱり大衆の気分や印象というものはものすごく大事で、その大衆の気分や印象というものにものすごく大きな影響力を持っている大マスコミへの印象というものはそれ以上に大事なんだなあと。

当事者やその家族たちは、そういったことにも気を使わないといけなくなる(そうしないと無用な苦労が増える)わけで、他人事ながら大変だなあとは思うけれど、それが日本社会ってやつだからなあ。もちろん、逆に言えば大衆の気分や印象を上手に利用できれば非常に効果的なんだが、まあ、なかなか難しいだろうね。如何に目立たなく振舞うかを先に考えたほうがいいのかな。

で、さっきも書いたが、俺も含め大衆がああいう出来事を見るのって、結局は他人事なんだよね。状況がどうなろうが自分には直接何の影響もない(ないと信じて疑わない)わけだし。カッと熱くなったかと思えばもうその後にはそんな出来事があったことすらも忘れて思い出すこともない。そんな気まぐれで、でも短期的にはものすごいパワーを持つものと相対しなければいけないってのは相当に辛いだろうなあ。

そんなことを考えていたんだけれど、そこで今度はフリージャーナリスト殺害のニュースが。

他人事な人たちは、今回はどんな物語を作り出すんだろうか。殺害された人の肩書き信条如何でシナリオはどうとでも変わるんだろうな。どういう場所に所属していたかとか過去の経歴はどうだったかとかな。

そして私は相変わらず、ニュースで流れる大抵のことは他人事だと思っている。