死刑判決「何かの間違い」…宮崎被告、謝罪なく幕

つくづく思うんだけど、こういう事件を起こして反省の色もないって理解不能だよね。この事件を通じて「日本人のロリコン気質」「日本人のメンタリティ」について改めて考えさせられたね。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060118i101.htm?from=main1

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件で、誘拐、殺人などの罪に問われ、1、2審で死刑判決を受けた宮崎勤被告(43)の上告を棄却した17日の最高裁判決は、犯行動機として、「性的欲求」と「死体を撮影して、自分だけの珍しいビデオテープを持ちたいという収集欲」の二つを指摘した。

宮崎被告は死刑が確定することを聞かされても「何かの間違い」などと語るだけで、この日も反省や謝罪は口にしなかった。

遺族らは今なお沈黙の中にある。残忍な犯行が残した傷跡はあまりに深い。

 ■反応

「何かの間違い」。宮崎被告は17日午後3時過ぎ、東京拘置所で面会した長谷川博一東海女子大教授(心理療法)から最高裁の結論を聞き、即座にそう切り返した。

昨夏から宮崎被告と手紙を交わしてきた長谷川教授によると、被告はほおがこけ、顔はしわだらけで髪の毛も少なくなり、事件当時の面影はない。

約15分の面会の間、左手でほおづえをつき、決して目を合わせようとしなかった。さらに、「どこが間違いか」と聞くと、「残忍だと思われたんじゃないか」。

今後については、「何もしない」「そのうち無罪になる」と答えたという。

 ■遺族

東京都江東区の女児が誘拐された都営団地では、今も遺族が部屋を替えて住む。近くの主婦(56)は「事件当時は両親とも疲れている様子で本当に気の毒だった。子どもを持つ親として、宮崎被告をやはり許せない」と話す。

埼玉県入間市の女児(当時4歳)が通っていた幼稚園の東喜代雄園長(71)も「最後まで宮崎被告から謝罪の言葉が聞かれなかったのは、残念でならない」と語る。

同県の3遺族のうち、初公判の際、「検事さんが我々の願いをかなえてほしい」と話した遺族は転居し、当時の自宅には時折、郵便物を取りに来るだけ。ほかの遺族も、引っ越したり、近所付き合いを断ったりしている。

犠牲になった4歳の女児がいた同県川越市の団地に当時から住む60歳代の男性は、「最近は事件を知らない住民も多い。風化させないため事件の悲惨さを伝えるべきか、そっとしておくべきか、今も答えは見つからない」と話した。

 ■捜査員

「気弱そうな若者だった。死刑確定は当然だと思うが、気の毒な気もする」

当時、宮崎被告を取り調べた埼玉県警捜査1課OB、佐藤典道さん(65)は、そう判決の感想を漏らした。

取調室で宮崎被告は、「今田勇子」名で遺族宅などに送った犯行声明文の奇妙な字体について、書き方のコツを熱心に説明。佐藤さんのノートに〈今田勇子〉と、同じ字体ですらすら書いてみせたという。

公判では一転、声明文を書いた記憶を否定したが、佐藤さんは「死刑を避けるため、記憶がないような言動をするしかなかったのだろう」と振り返る。

(2006年1月18日3時1分 読売新聞)