自己責任云々

http://d.hatena.ne.jp/samoku/20040416#p1

http://deadletter.hmc5.com/blog/archives/000040.html


「自己責任」、「自業自得」と言い立てる人たちは、一体何を言いたいのだろうか?もしかして、「危険を承知していったんだから、政府は救出しなくていい」とか、そこまでいかなくとも「救出してやることを、ありがたく思え」とか、そんなことを言いたいのだろうか?

この際はっきりさせておきたい。

「国、政府が、国民の生命の安全を確保することは、無条件の義務である」。

ポイントは「無条件」というところだ。国家は自国民の生命の安全確保に関して、一切厭うてはならないし、拒否することも出来ない。それが近代国家の大原則なのだ。もちろん危機に瀕している国民がいかなる思想信条(例えば政府の政策に反対だとか)を有していようと、それは完全に無関係だ。

もしそれを国家が怠るのならば、国家は国民に基本的人権のひとつとして新たに「自力救済(仇討ち等に代表されるような警察や司法に依らない私的制裁、自力での問題処理)」を認めなければならない。けれども「自力救済」が認められる国家はおよそ国家足りえず(全ての国民が互いに自力救済を行ったとしたら、それはホッブスの言う「万人の万人による闘争」=「自然状態」であり、そこでは国家という存在は無きに等しい)、従って「自己責任」を過度に押し付ける国家は、自らの存在そのものの否定を主張していることになる。

http://ch.kitaguni.tv/u/1181/%bc%d2%b2%f1/0000072285.html


さて、得意げな人々よ、あなた方は本当にあなた自身の「自己責任」をイメージできているか。

どうやらみんな自分だけは「強い奴」の仲間入りできると大した根拠もなく信じているように私には見える。自分だけは自己責任で常に「安全地帯」に留まれると思っているようだ。 今度の事件でblogや掲示板でしたり顔で3人を批判しているのもそういう手合いだろう。ついでにいうと最近とりあげたあの事件の反応にも私は同じような志向性を感じる。「イラクになんか俺はいかないもん。都会のビルの回転扉になんか近づかないもん。あんなバカなこと俺ならやらないね。バカな人質たちは国に謝れ。バカな母親は森ビルに謝れ。世間を騒がせやがってケシカラン」

そうだろうとも!

安全地帯にいて、ことが起こった で「それみたことか」みたいなことを書くのはいくらでもできる。簡単なことだ。しかし、事件が起こるに至った背景をちゃんと見ているか? その論理を受け入れたとき「後の後」に何が来るのかちゃんと考えているか? イラクという土地が外国人の誘拐が相次ぐ場所になったことをそもそも貴方はどうやって知ったのか。回転扉が人の頭をつぶしかねない危険な代物であることをあの事件の前に貴方は認識していたか?

あなたが毎日通っている近所の施設に第2の回転扉が絶対に存在しないなどと貴方は「自己責任」で本当に判断できるか? あなたが新婚旅行やフルムーン旅行で来訪を計画している国に第2のイラクが含まれていないと「自己責任」で本当に判断できるか? もしそこで予期せぬ事件に巻き込まれたとしてもその結果を「自己責任」として受け入れ、政府の援助もボランティアの援助も一切要らないのだな?

自己責任論については、以下のコラムが痛快だった。上で私が書いたことをもっと辛辣に指摘している。

http://www.pot.co.jp/matsukuro/20040416_687.html

まあ、要らないのでしょう。世の中にはそういう覚悟と気概を持った人がたくさんいるんだなあ、すごいなあ、とてもそうは見えないけどなあというのが私の感想です。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20040417#p1


 今回の人質事件で自己責任論が盛んだが私は関心ない。政府が渡航禁止にすればとかいう意見もあるが、そんなことできるわけがない。

 だいたいが、政府の勧告を無視するのは自己責任が前提。それでも問題があれば政府が助けるのも原則。

 だがな、普通は、外務省は助けないんだよ。今回助けているのはどっちかという政治がらみの異例の措置だ。こんなspecial exceptionから一般論を議論するのは無意味。